終活は本当に必要か?
さて我が身を振り返って、「果たして本当に自分に終活が必要なのだろうか?」
そうお考えになる方も、多いと思います。
そんな疑問にお答えするため、今回は「終活が何に役立つのか?」と言うことについて、ご一緒に考えてみましょう。
現在どんなにしっかりしていても、年を重ねて行けば将来、認知症のリスクや重篤な病のリスクが訪れ、また子供との関係が疎遠になっていたり、そもそも子供がいなかったりなどと、どなたでも心配事の一つや二つは浮かんでくることだと思います。
どんな方でも例外なく老いが訪れ、そして死を逃れることはできません。
もちろん若い方にとっては遥か遠い先の事であり、むしろ老いや死に到達する前に、人間として仕上げなくてはならない事が、まだまだたくさんあるでしょう。
一方、中高年は若い方に比べると、圧倒的に持ち時間が短いと言うのが、本当のところです。
元気で溌剌と活動していても、毎年確実に年齢を重ねていきます。
「終活」など他人事だと関心を持たずに放っておくと、思わぬ落とし穴にはまることになるかもしれません。
そして認知力だけでなく体力や気力も、年を追うごとに低下していきます。
体が元気で、精神的にもしっかりしているうちであれば、自分らしい考えができるでしょう。しかし能力・体力・気力が低下してからでは、自分らしい判断や対応が、十分できない恐れがあります。
例えば、次のような状況を考えてみてください。
・意思が表せなくなっても自分らしく暮らしたい。
・家族に余計な心配をかけたくない
・自分の死後、ペットの世話は誰がやるのか?
・亡くなった時には、この人には必ず連絡して(or連絡しないで)欲しい。
・自分らしい葬儀をあげてもらいたい。
・PCやスマートフォンのデータや写真の処分はどうなるのだろうか?
介護や身の回りの事、葬儀、お墓、医療、ペットの世話、それに情報機器やクラウド上に残るデジタルデータの処理等々...。
数え上げると、きりがありません。
このような事は、遺言ではカバーしきれないのです。
つまり「気がかりな事」の整理をしておき、自分らしく安らかに終焉を迎える準備をすることこそ、「終活」にほかなりません。
過去の人生を振り返るとともに、今後の人生の不安を整理する。
つまり今「課題を見つけ、その対策を立てる。」
これこそが、「終活」の本旨です。
そして、どうせやるなら、楽しみながらやってしまおう!
それが私からの提案です!!